内田樹氏×釈徹宗氏の「聖地巡礼リターン」を拝読致しました。大変面白かったです。
今回の内容は、
・長崎とキリシタン
・隠れキリシタンの里へ
・京都と大阪のキリシタン
でしたが、隠れキリシタンの心情というかメンタリティーというか深層心理というか、そういうものに豊富な知識をベースにして深く踏み込んでおられました。
現在、マーチン・スコセッシ監督による「沈黙-サイレンス-」(原作:遠藤周作)が公開されましたが、全体的には、張り詰めた緊張感があったことは非常にプラス評価でしたが、隠れキリシタンと為政者の対立の構図が押し出され過ぎていたようにも感じました。カトリック教の神父を目指していたらしいマーチン・スコセッシ監督にとっては、弾圧する側の残虐非道な行為に対する怒り・悲しみ等の感情も、映画のテーマになっていたのかもしれませんが・・・・
それと、窪塚洋介さんが演じた「キチジロー」。原作と比較する愚を犯したくはありませんが、「キチジロー」についてのスコセッシ監督の解釈は、西洋の裏切者的要素が色濃かったような気がしました。個人的には、原作の「キチジロー」は、どこか憎めないところがある、という印象を持っていて(以前、読んだ際、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる「ねずみ男」を連想していました)。日本人のメンタリティとしては、「キチジロー」的人物には寛大になってしまうのではないか、と勝手な憶測をしてしまいました。しかし「キチジロー」役を窪塚洋介さんは好演なさっていました。
最後に。
観念的な絶対神への信仰は、狂信的とはいかないまでも、頑なになりやすいのかもしれない、という思いも去来致しました。この点については、異論が出てくることは承知しております。まず「観念的な絶対神」とは何ぞや?と問われれば、小生にも、うまく説明できません。が、そもそも絶対神が存在する、と信じることが観念的ではないのでしょうか。正直いって、この辺になると、ややこしくなるので、不明な小生に誰かご教示頂ければ、幸甚でございます。
因みに、「聖地巡礼リターン」の「・隠れキリシタンの里へ」では長崎県の西彼杵半島にある外海(そとめ)地区がフィールドワークの対象となっていまが、「沈黙-サイレンス-」の舞台も、この地区のようです。夕陽が、非常に美しいところです。