苦役列車 -西村賢太氏

今まで、C・ブコウスキー、ヤン・ソギル、八木義徳をご紹介して参りました。そして、今回は、西村賢太氏です。何だか読書傾向が偏っている、と思われるかもしれしません。井蛙が露呈して気恥ずかしい限りです。

さて、西村氏の著書に関しては、「暗渠の宿」「廃疾の宿」(ともに新潮文庫)しか読んでおりませんので、鳥瞰的な視点でも読めているのか、全く自信はありませんが、いずれれも西村氏の体験を基盤にした作品のようです。所謂「私小説」の部類に入る作品のようです。

ところで、「私小説」とは?、と問われた場合、どう返答したら、よいのでしょうか。厳密に区分することことは不可能に近いことなので、根本的に小説は虚構ですから、素材を自らの体験から選んだ作品だ、と定義しているようにしています。しかし、その作品には普遍性がなければならない、と考えております。

この「苦役列車」の主人公は貫多という若者です。生来自堕落、無計画で奔放といえば、奔放。低学歴、父親が性犯罪者ということ事情があって、劣等感に苛まれています。
この劣等感が起因となって、強烈な、醜悪なまでの嫉妬心、敵愾心を抱え込んでいます。そして、それが貫多を負のスパイラルへと誘導してしまいます。

しかし、この作品においては、悲愴なほどの「劣等感」なるモノが読んでいくうえでの強烈な推進力となっています。劣等感は、小生を含めて、程度の差は人間すべてが持っているからでしょう。つまり、普遍性を確保しているのでしょう。しかし、陰陰滅滅気味の物語の背後に、この作者独特のユーモアがあり、その点が魅力でもあり、かつ、救いでもあります。

草壁丈二

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