耕治人

耕治人 こう・はると (1906-1988)

明治39年8月1日熊本県八代市生まれ。明治学院英文科卒。
千家元麿に師事して詩作を始め、1930(昭和5)年に『耕治人詩集』を上梓。
戦後、小説を執筆。晩年は、脳軟化症による痴呆のために異常な行動をみせはじめた妻の日常を夫の眼から描いた『天井から降る哀しい音』『どんなご縁で』『そうかもしれない』を続けて発表し、「老年文学の真骨頂」と、高い評価を得た。1988(昭和63)年1月6日、舌ガンのため死去。享年81歳。



〔主な著作〕

・『一条の光』        1969(昭和44) 年 読売文学賞受賞
・『この世に招かれてきた客』 1976(昭和47) 年 第一回平林たい子賞受賞
・『天井から降る哀しい音』  1979(昭和61) 年 芸術選奨文部大臣賞受賞



〔耕治人氏と八木義徳〕

耕治人氏と八木義徳は、同年代を生きた作家同士でしたが、生前全く面識をもちませんでした。耕氏が亡くなられた日、八木義徳のもとへある新聞社と雑誌社から追悼の文章を書いてほしいという電話があったそうですが、上記の理由で断っています。しかし、1月23日付の北海道新聞夕刊に『ある作家の死』という原稿
を寄せました。
    
絶筆となった『そうかもしれない』という作品について、《入院中の夫を老人ホームの妻が見舞いにきて、付き添いの女性から「この方がご主人ですよ」と何回も言われ、「そうかもしれない」と妻がひと言いう場面がある。この一語もまた悲しみ以上の何かを私に誘う。夫婦というのは一体何なのか。ここには夫婦というものの果ての姿がある。この果ての姿はおそろしい。しかしどんなにおそろしくても、世の夫婦は(むろん私ども夫婦もふくめて)この果てへ向かって歩いて
行くほかはないのである。》
と、書いています。
   



〔八木義徳の野口冨士男氏に関する著作・評論・解説〕

・書評『詩人に死が訪れる時』     新刊ニュース  1971年
・『老いの果て』―『天井から降る哀しい音』月刊自動車労連 1987年
・『ある作家の死』            北海道新聞夕刊 1988年1月23日
    
※『老いの果て』―『天井から降る哀しい音』は、『文章教室』(1999年 作品社刊)収録。『ある作家の死』は、『耕治人氏の死』と改題されて、『何年ぶりかの朝』(1994年 北海道新聞社刊)に収録されています。