早稲田大学

1933(昭和8)年に八木義徳は第二早稲田高等学院に入学し、同人誌の創作活動に入り、横光利一に師事して小説の修業時代に入ります。

1935(昭和10)年 早稲田大学文学部文学科仏文専攻に進学しましたが、希望の露文専攻は、すでに廃止されていました。同年10月、久保田りよと結婚しています。

1937(昭和12)年2月、『早稲田文学』に「海豹」を発表。この「海豹」は、
昭和12年度上期の芥川賞候補になり、文壇へのデビュー作となりましたが、師の横光利一は「海豹」を読むまでの八木の作品については合格点を与えなかった、と八木義徳本人が語っていました。

1938(昭和13)年に早稲田大学文学部文学科仏文専攻卒業しますが、この早稲田時代が小説家としての礎になったいえます。

1930(昭和5)年の早稲田大学。八木義徳が進学した第二早稲田高等学院(2年制)は大学構内にありました。現在の文学部は戸山キャンパスにありますが、当時は大学構内にありました。