町田駅(JR及び小田急)界隈・山崎団地 

八木義徳は町田市山崎団地に1969(昭和44)年に転居しました。 その後、亡くなる数ヶ月前までの30年の歳月をこの団地で過ごしました。
八木義徳の随筆の中に、「団地暮らし」(初出雑誌「新潮」1969.5)という一風変わった作品があります。これは、初めての団地暮らしにたいする戸惑いが描かれています。

「団地暮らし」(初出雑誌「新潮」1969.5)より

「小説家といわれる種族のもつべき第一のルールは、
 他人をのぞけ、他人にかまえ、他人にかまわれろ! 
 だ。」

「ここへ移ってきてからの私の運動といえば、この
 四千二百戸という巨大な団地の周辺を、脚にまかせて
 ぶらぶらひとり歩きをすることだが、ちかごろ、そう
 いう散歩のとき、なにやら妙なひとりごとをしきりに
 言っている自分に、はッと気づくようになったことで
 ある」

それまでとは違い、他人からの干渉がなくなった生活のなかで、改めて「他者」との関係がほしくなった八木義徳は、「ひとりごと」という形で自分自身を他者と見たてて、会話を交わし始めたのです。八木義徳は、よく散歩に出かけました。 お気に入りだったのは、町田の駅前にある東急ハンズ近くのDOUTOR COFFEE」で、この店の窓際の席でコーヒーを飲みながら、道行く人たちを眺めていました。八木義徳は、人間観察の達人でした。