八木義徳の手紙(1)

文芸誌編集者への手紙 その1
日付 平成7年(1995年)4月19日

拝復 ご丁寧なお手紙をいただきながら、お返事おそくなって申しわけなく存じます。
実はさっそくお返事をと思いながら、またまた弁明と逃口上的なお手紙になりそうな気がして、なかなか書けずにおりました。しかしいつまでも失礼をつづけるわけにはいきませんので、当方の実情だけご報告させていただきます。

1.これは前便でご報告したかどうか記憶が定かではありませんが、私の方、男の老人病の一つである前立腺肥大の手術で、去る二月十三日北里大学病院に入院、同十五日手術、同二十四日退院しました。その退院のとき担当の医師から、できるだけたくさん水分を摂るようにといわれたので、そのようにしていましたが、肝心の尿意が昼日中はあまり起らず(起ってもせいぜい1,2回で、出る量もほんのわずかで)夜ベッドに入ってからひんぱんに起るので(少いときで6,7回、多いときは8,9回)そのつどベッドから起きてトイレに立つので、ほとんど熟睡ということができず、翌日半日は頭がぼーっとして何も手につきません。こんな状態が退院してふた月近くになる今日までつづいています。
ところで亡友野口冨士男も晩年おなじ手術をしましたが、その手術後数カ月経ったころでも「夜なかに排尿で7,8回も起きるので、熟睡ということがまるでできないよ」とこぼしたことがありますが、私の場合もまさしく野口とおなじということになりました。また五十代でおなじ手術をした札幌在住の友人からも「排尿がノーマルな状態に復するにはほぼ一年近くかかった」と手紙がありましたので、私の場合もそれくらいはかかるのだろうと覚悟はしております。それにしても夜熟睡ができないというのは苦痛なものです。

2.北里大学病院に入院する前、よく立ちくらみを起したり、また、“街歩き”などしているとき、ふいに目まいにおそわれるということが何度かありましたが、どういうわけか入院中はうまくおさまっていたのに、ちかごろ、またそれがひんぱんにぶりかえすようになりました。
かかりつけの医師の診断では低血圧(上が90代の前半下が60代の前半)によるものということですが、もう一つ血液中のタンパク値が標準よりずいぶん少いのも目まいの関係があるのではないか、ということで牛乳をたくさん飲むようにと言われました。(この目まいはすこし根をつめて本を読んだり、長い手紙を書いたりするときよく起るので、あなたへのこのお手紙も、2,3行書いてはタバコを一服つけたり、コーヒーをひとくちのんだりして休み休み書いています)
3.昨年の暮れ近くはカゼをこじらせて肺炎になりかかったので10日間入院、今年二月には前記の手術で12日間入院、この2回の入院生活での運動不足がたたったのか、脚がすっかり弱くなって、ただいまはステッキの力を借りて歩行練習をしているありさまです。近くの病院の医師の診断では、これは血流の悪化によるものということで週に一回そのための点滴をうけたり、物療科で極超短波(?)の照射をうけたり、また別に週に一回マッサージ師に来てもらってマッサージをうけたりしています。しかしなにぶんの老齢で脚だけの筋力だけではなく体全体の筋力が衰えているのですから、これも気永にやって行くよりほかなさそうです。

          
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いや、こんなことをながながと書いて、われながら情なく思いますが、これも“老いの繰り言”の一つとしてどうかおゆるし下さい。しかしこんな状態では何を書いてもロクなものはできません。いまの私には何よりもまず体力の回復に専心するのがいちばん必要なことではないかと思っています。せっかくご厚意のこもったお手紙を重ねていただきながら、こんなお返事しかできないのはまことに残念ですが、そしてあなたには重々失礼ですが、事情ご了察の上、これもどうかおゆるし下さい。


先日、永井荷風の「断腸亭日乗」(岩波文庫版)を久しぶりに読み返しましたが、その死のひと月前あたりには「何月何日 正午浅草」というたった一行の言葉が延々と続いているのに、肌寒い鬼気を感じました。これは他人事ではありません。そしてただいまは山田風太郎「人間臨終図巻」(上下二巻)を読んでいます。人の死にざまを読むこと
は何となく元気が出るものです。呵々!

平成七年四月十九日            敬具

追伸=この手紙 ひどい文章になったように思いますが、読み返しをせずにお出しします。