八木義徳の手紙(2)

文芸誌編集者への手紙 その2
日付 平成8年(1996年)1月9日

拝復 昨年12月22日付けでご懇篤なお手紙を頂きながら、お返事を差し上げずにいるうちに年も暮れ年が改まり、そして松の内もすぎて、とうとう今日という日になってしまいました。何よりもまず失礼をおわび申します。しかしお返事のこと決して怠けていたわけではありません。

私はあなたとのお約束を一度破った人間です。それでこんど頂いたお手紙は、あなたから私への最後のお手紙と心得、こんどこそは確かな責任のあるお返事をしなければと思い定めたのですが、そう思えば思うほど、体がガキガキに硬くなってしまい、とうとう一字も書けずに終わりました。

それならいっそ外へ出たらいい思案も浮かぶだろうと思って27日バスで町田駅まで出、駅前から、約500米ほど先にある喫茶店までステッキの力を借りながら歩いて(それが私の歩行練習の決まったコースでした)そこでひと休みしながらお返事のことを考え、復路は別な商店街を通って家に帰ったところ、しきりに鼻水が出、体も熱っぽくなって、カゼを引いたことが分りました。
明けて一昨年も暮れ近く、やはりカゼをこじらせて肺炎になりかかり十日ほど入院ということがありましたので、こんどは大事をとってすぐ横になり三日ほど休養しました。そして30日と31日は、それまでいろいろの方から頂いたお歳暮のお礼がずいぶん遅くなっていたので、そのお礼状書きに費されました。

年が明けると、こんどは一月六日日比谷の中日新聞ビルで開かれる「小谷剛文学賞」(小谷氏の生前は「作家賞」という名前で、私はその第1回から選考委員の一人で、たぶんもう20数年になるでしょう)の選考会が待っていて、その最終候補作5篇(いずれも100枚を越すものばかりでした)を読む仕事に追われることになりました。老来、視力が衰えて読書力がガタ落ちになったばかりでなく、頭も鈍って、一回読んだだけではすまず、中の一篇などは三回も読んだほどでした。

そして一月六日の選考会(委員は私のほかに進藤純孝氏と吉田知子氏の三人)では授賞作を決めるまでに3時間近くもかかったためひどく疲れて帰りました。それで翌日と翌々日はまたまた休養ということになりました。そうして、きょうという日がやって参りました。

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さて、こんなことを長々と書いて、われながらすこしオカシイなとは思いますが、私のいわばアリバイ?のために書かせていただきました。

ただいまお手紙を再読して、あらためて作家冥利に尽きるお手紙だと痛感いたしました。

これほどご厚情のこもったお手紙をいただきながら、なぜ即座にいいお返事ができないのか、自分で自分に腹が立ちますが、こんどこそは無責任なお約束ができないのでどうしてもためらってしまうのです。

お手紙のなかに「手紙という形式で書いてみたらどうか」というご教示がありました。それを読んだとき「あ、そういう形なら」とかなり大きく心が動きましたが、よくよく考えてみると、どうもそこへ気持がぴったり乗って行かないのです。

私がかねがね願っているのは、自身の“老い”をテーマにした小説を書きたいということでした。テーマそのものははっきりしているのに、それを小説化するためのモティーフがまだつかめないでいるのです。

私は昨年二月、前立腺肥大の手術で約二週間、北里大学病院に入院しましたが、その手術前、家内はまず癌のことを心配したそうです(これはあとで聞きましたが)しかし私自身の方は、癌のことは全く(文字どおり全く)念頭にありませんでした。もしそのとき私が癌の疑いを持ち、医師の診断で、その疑いが事実であることを宣告されたら、私の入院生活はずいぶんちがったものになっただろうと思います。

しかし私の前立腺肥大手術はきわめて平凡なものに終りました。そして、こういう言い方はいかにも傲慢であることを重々承知しながら、敢えて申し上げれば、私は“死の淵”を覗きそこなったのです。(まことに偶然ながら、きょうの新聞はミッテラン前仏大統領の死因は前立腺癌だと発表しています)

亡友野口冨士男は肺癌によって“死の淵”を覗きました。さらに夫人の治療の見込みのない難病が加わって、そこからあの名作「しあわせ」が生れました。そして夫人も野口自身もその“死の淵”へ入って行きました。ただいまの私は、この野口夫妻の死を嘉き死であった、と言い切りたいとさえ思います。

しかし「平凡な老いなら、その平凡なままの老いを書いたらどうか」という声が聞こえてきます。が、実作者としてはそうは行きません。たとえ書いたとしても、それが凡作に終るだろうことは眼に見えているからです。

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またしても、長々と書いてきましたが、結局のところ、書くべきモティーフをつかめずにいるただいまの私には「書かせて頂きます」という言葉がどうしても口から出てこないのです。せっかくのご厚情に対して、ふたたびこんなお返事しかできないのはまことに心苦しく申しわけなく存じますが、あなたのおゆるしを願うほかはありません。お返事のたいへんおそくなりましたこと重ねておわび申し上げます。

平成八年一月九日夜             敬具

追伸=この手紙、読み返さずこのままお出しします。文章にヘンなところがありましたら、おゆるし下さい。