第1回 有島武郎

明治11(1878)年~大正12(1923)年 
東京小石川生まれ。札幌農学校(北大)卒。在学中、思想家の内村鑑三の指導のもと、熱心なクリスチャンとなる。

明治36(1903)年、アメリカに留学し、歴史と経済を学ぶかたわらホイットマンを愛読。社会主義の影響も受けた。その後、ヨーロッパを巡り、明治40年帰国。翌年の明治41年、母校の教師として札幌に赴任。

明治43(1910)年、武者小路実篤、志賀直哉らと『白樺』を創刊し、作家活動を始めた。

明治44年、信仰への懐疑が深まり、教会から離れた。大正4(1915)年、教職を辞して帰京。 『かんかん虫』(明治43)、『お末の死』(大正3)、『宣言』(大正4)などを経て、『カインの末裔』

(大正6)で一躍人気作家となる。代表作に、小説『生まれ出づる悩み』(大正7)『或る女』(大正8)、評論『愛は惜しみなく奪ふ』(大正9)がある。

大正9(1920)年、『宣言一つ』を発表。将来的変革を必然としながらも、従来の階級を出られ ない知識人の宿命を表し、議論を呼んだまた、北海道の有島農場を貧しい人々に解放し、変革への実践を試みたが、自己の行き詰まりは打開できなかった。大正12年6月9日、婦人記者の波多野秋子と軽井沢で心中した。



「或る女」-八木義徳の視点 草野大二
「アンナ・カレーニナ」(トルストイ)、「ボヴァリー夫人」(フローベール)、そして「或る女」を必読の書として、八木義徳は講師を務めていた文京女子短期大学や講談社フェーマス・スクール四谷学院の学生に薦めていた。また「或る女」(新潮文庫)の解説を書かれておられる加賀乙彦氏もこの三作品を「一人の女性像があざやかに浮かびあがる」小説として挙げている。

この三作品は、男性作家が描いた女性、という点で共通している。八木は生前「女性を描く時はいつもおっかなびっくりで、手応えのようなものを感じなかった。女性作家に、うまく描かれている、と褒められても何か釈然としなかった」と語っていた。この言葉は八木の小説観をいい表しているように思える。八木が常々いっていた「作者と登場人物は臍の緒が繋がっていなければならない」と深く関っているように思える。男性作家が女性の登場人物と「臍の緒を繋げる」ことは非常に難儀なことであり、不可能に近いことなのかもしれない。それにもかかわらず八木は「或る女」を薦めた。

「何年ぶりかの朝 八木義徳自選随筆集」(北海道新聞社刊)の中に「知らないから書く」という随筆があり、「有島武郎やトルストイやドストエフスキーやフローベールやモーリアックたちが、女をよく知っていた、と私は書いたが、これは私のまちがいであった。これらの作家たちも、この私とおなじように、女というものをあまりよくは知らなかったのだ、知らなかったからこそ、葉子やアンナやグルーシェンカやエンマやテレーズなどという女たちを徹底的に知ろうとして、全力を傾けたのだ。女にかぎらない、ものごとをよく知っているとは何ほどのことでもない。単なる物知りなら、そこら辺にざらにいる。よく知らぬものを徹底的に知ろうとして全力的な意志と情熱を持続することの方がはるかに困難なのだ。そしてこれらの作家たちは、その絶望的な困難についに打ち勝ったのだ。その結果として、彼らはそれぞれにある典型的な女性像を見事に描き上げること
ができたのである」と八木は書いている。つまり、八木が最も評価していることは、絶望的な困難に打ち勝とうする有島のパッションだといえるのかもしれない。有島は八木にとって「パッションの人」だったのではないか。八木は「臍の緒」と同等に「パッション」を創作にあたっての要諦と確信していたからだ。

八木が「文学開眼の師」と仰ぐ有島との邂逅は、八木が旧制室蘭中学校で剣道に夢中になっていた頃だったが、八木の「私の文学」(北苑社刊)には、初めて読んだとき、「『或る女』はただ活字の上を素通りしただけだった。この大作がわが国の近代小説における代表的な名作の一つであることを理解するには、あと数年を必要とした」と書かれている。「あと数年」がどれほどの時間かは推測しかねるが、白樺派の作家を渉猟し、漱石に触れ、ある程度日本文学の作品知識を身につけた時期だろう。しかし、真に理解したのは、作家として歩み出してからではないだろうか。作家にとってパッションが最も大切だと認識した時点からではないだろうか。
 
ところで、「或る女」についての作品解説を書くことは「八木義徳文学館」の来館者にとっては必要ないように思われる。井蛙である筆者よりも的確に、かつ、丁寧に読まれていると想定されるからだ。個人的な感想なりを書かせて頂けるとすれば、今回この文を書かせてもらうに際して再読を試みたが、早月葉子という人物の強烈なアクチュアリティの前に萎縮さぜるを得なかった、ということが率直な読後感である。結局、筆者は再び有島のパッションに圧倒されたのだ。