「ダンディな作家・八木義徳氏の思い出」

文学界 特別対談 河野多恵子氏+山田詠美氏 
『文学とは何か?』抜粋

■ダンディな作家・八木義徳氏の思い出

山田 私は、亡くなった作家でお宅に伺った方というと、八木義徳さんです。

河野 八木さんの小説は早くから読んでいたんですか。

山田 八木さんの短編が大好きで、作家になる前から読んでいました。作品にトラディションがちゃんとあって、佇まいがきちんとしているから。それでデビュー後、「文藝」の編集長に「八木さんにお会いしたい」と頼んだ。そうしたら八木さんも私の本を読んでいてくださって会いたいとおっしゃってくれたので、町田の団地を訪ねました。

河野 実はそのとき、「一席設けるから八木さんと一緒に来てほしい」と「文藝」から連絡があったの。私は八木さんとは、「文学者」での旧い知り合いで、八木さんと一緒に、とれたてぴちぴちの詠美さんと並ぶのが照れくさくて、ご遠慮したんです。

山田 そうなんですか。伺ったとき、私が有島武郎が大好きだって言ったら、「生れ出づる悩み」のモデルになった木田金次郎の画を見せてくださって、感激していたら、「やるよ」。「いえ、これを頂くわけには」と言ったら、「いいから持っていきなさい」と。その後しばらくして、私が当時付き合っていた男性が逮捕されてマスコミ沙汰になったことがあって、気分はどん底状態でしばらく内にこもっていたときがありました。気分直しに行ったパーティに八木さんがいらっしゃって、私に「君、アイスクリーム食べる?」ってスプーンですくって食べさせてくださったんです。「ベッドタイムアイズ」の「スプーン」にかけてそうされたのか分かりませんが、泣けてきましたね。それ
でなついてしまった。直木賞を頂いた後にコーヒーカップを二組持って伺ったときも、心つくしのお料理でもてなしてくださった。ご夫婦でのろけるんです。奥様は「こんなにいい男と知り合えて私は幸せだ」とおっしゃるし、八木さんは「この女を誰それから横取りしたんだ」みたいなことを自慢されて、ああ、いいなあ、と思ってお話を伺っていました。

河野 盲腸で手術を受けられたときも、奥様の手を握って離さなかったそうですね。恋愛中のことだったようだけれど。

山田 奥様も、「台風のときに何かが飛ばされそうになったのをこの人が羽織の紐で縛って押さえているのを見たときに、虜になってしまったんです」なんておっしゃって。私はそういう話を聞くのが大好きなんです。今でも強く印象に残っているのは、編集者と一緒に伺ったときにその編集者が、宗教を大きな基盤に書いているある作家のことをちょっと悪し様に言ったんですね。それを聞いて私が、「信じてるんだったら宗教だろうが男だろうがいいじゃないの」と言ったら、八木さんが「そうなんだよ。宗教だろうが男だろうが妻だろうが、そういう信ずるものを作家は一つ持っていないと礎にならないんだ」と、結構激しい口調でおっしゃったのを覚えています。

河野 「文学者」の合評会のときなどでも、あの方はいつも大真面目でしたね。怒る場面は一度も見たことがないけれど。

山田 ダンディな方でした。

河野 合評でお話しなさる時、いつもグレーの前髪を片手で大きく跳ね上げてね。

山田 八木さんが亡くなったとき、私はお葬式に伺えなかったんです。でも、前にこれまであまりにお世話になったので、楽しんでいただきたいなあって思って、大切にしていた靴箱にブランド物のキーホルダーとか、地方で買ったお土産、お守りとかを詰めて、「くだらないおもちゃ箱ですけど」とお送りしたことがあったんです。その後奥様から手紙を頂いて、箱の中に入れてあったピルケースに、八木さんの骨を入れていつも持ち歩いてくださっているんですって。それまでは、しばらく会わなかったということは生きていらっしゃるということだ、と思ってあまり考えないようにしていたんですが、その手紙を読んで胸にぐっときましたね。 八木さんに親しくしていただいたことは今でもいい思い出で、短編アンソロジー「せつない話」(光文社文庫)に八木さんの「一枚の絵」を収録させていただ
いたことも感慨深いです。