「北はやさしさや雪までも(7)八木義徳」  

北はやさしさや雪までも〔7〕 八木義徳 
     
佐藤洋二郎

文学はおとなが接するもの

室蘭に行こうと切符まで買っていたが、風邪をひきご破算になってしまった。体力には自信があったので、からだにいいことはなにもしないで生きてきたが、近頃はもう無理がきかなくなってきた。ちょっと淋しいなという気持ちだが、それもしかたがないかと諦めるしかない。草木も人間もやがて朽ちていく。わたしだけが例外というわけにはいかない。

室蘭に行きたいとおもったのは、そこが私小説家の八木義徳が育ったところだからだ。わたしは近年、私小説家だといわれている人たちのふるさとを歩いている。葛西善蔵の生きた津軽や、嘉村磯多が住んでいた山口にもでかけた。尾崎一雄が暮らしていた小田原の曽我の家もなんどか訪ねたし、近くの川崎長太郎がいた土地も歩いた。日本には私小説家と呼ばれる文学者たちがいて、おおきな構えの小説ではなく、我が身におこったことを削るように書いている。自分が経験した身近な世界を書いて、おおきな世界を描くという作家たちだ。書くことがすなわち生きることだと言える作家たちだが、わたしはその燻し銀のような底光りする作品群が好きで、いかにもつくりものという物語より心が惹かれる。

残念だなとおもいながら、ちょうどこの雑誌に八木義徳のことを書いていると、真夜中に八木さんを私淑する草野大二さんからメールが入った。こんなこともあるのかとおどろいたが、この方は八木義徳の「風祭忌」の事務局の人で、いまは九州の諫早市で僧侶をされている。数年前に、作品社の役員の高木有さんに誘われて、中野サンプラザで行われていた「風祭忌」にでたことがある。そこでわたしははじめて八木夫人や草野さんたちにお会いしたのだが、心が穏やかになるようないい会だった。いい作品を書いた文学者は、のちのちまでいい人たちに取り囲まれているのだなというおもいを持った。

近頃はまだ知識も経験もなく、また生き方からつかんだ自分の言葉を持っていない、若い書き手たちが大量生産されているが、文学の世界も芸能人とおなじように幼児化している。歌のまずさを振り付けで誤魔化し、逆に幼さばかりが強調される。少女や若い人たちを相手にするから、文学の世界も芸人の世界に似てモーニング娘のような人間が増えてくる。なにかをつくり上げようとする世界では年季も必要だとおもっている人間からみれば、なんだかなあという気持ちだ。まして小説を書くということには文章の芸というものも重要だ。その芸は、手芸、話芸、工芸と書けばわかるように技術のことでもあり、どんな技術でも習得するまでには時間がかかる。そしてなによりも文学にはものをよく見るという目が必要なはずなのだが、その目が養われているかどうか。

わたしは本来、小説は多感な世代が読むのはもちろんだが、もっとおとなが読むものだとかんがえている。しかし昨今の世相はそういうふうにはなっていない。おとなの鑑賞にたえられないものが氾濫し、つくっているおとなも嫌気がさしているのではないかとかんじるときもあるが、現実はそれらのおもいからますます乖離している。最近は私小説などつまらないという風潮もあるし、もっとアカデミックで格調高い作品がいいという人もいるが、小説は学問ではないのだから、もっと人間の心の襞を震わせるものがあってもいい。

若い頃にはなんだか辛気臭いなとかんじていても、年齢を重ねると見えてくるものがある。嗜好は歳とともに変わるが、こどもの頃にあまり好きではなかったものでも、年齢がいってくると好きになってくるものがある。わたしにとっての私小説家の作品はそういうものだ。中でも八木義徳のものの見方が好きだ。彼は「われは蝸牛に似て」という作品の中で、老若、男女、階級、年齢、美醜、善悪の差別はない、差別するのはたったひとつで、それは才能だと言っている。その才能は忍耐だとも言っている。

わたしはこれを読んだときすなおにいい文学者だなとおもったし、自分もこういうふうに人を見ないといけないと肝に命じた。わたしたちはうまくいっているときにはとかく傲慢になりがちだし、人を見るときには色眼鏡で見たりもする。物事をよく見るにはなによりも知識と経験が必要だが、この作家にはそれがあるとかんじた。

そしておどろいたことに八木夫人から突然お電話をいただいた。どういうことかとおもっていると、武田友寿氏が書いた八木義徳論の『極北の旋律』という著書を送ってくださるという。わたしがちょうどいま八木さんのことを書いていると言うと、その偶然に夫人もおどろかれていた。受話器をおいたあとに、しばらくぼんやりとし、この原稿を書いているときに八木さんのいちばん身近なふたりから連絡をもらい、こちらもこんなことがあるのかと奇妙な縁をかんじた。ふだんは神仏をなにも信じないが、あまりの偶然に八木義徳さんがつないでくれたのではないかとおもったりもした。

 

大河のごみやあぶく 2004年4月1日発行「北の発言」第6月号より転載
           =責任編集西部邁氏

なぜ小説を書きたくなるのか。すでにいい歳になっているのに、近頃はあらた
めてこういうことをかんがえる。思索しても詮ないことだとおもう一方、因果なところに陥ったものだ、おなじ一生ならもっと別の生き方もあったろうにと呻吟するときもあるが、いまさらどうなるものでもない。このまま生きて朽ちるしかないのだが、わたしたちの一生は自分が何者であるかということを探る人生でもある。文章を書いていて、ひとつだけいいことがあるとすれば、自分への客観性
や間合いがとれるのではないかとおもうことだ。

そしてどこまで行っても自分がどういう人間で、どういう行動をするのかという
ことはわからない。結局はその場その場を刹那的に生きているだけな気がするが、それもほんとうはわからない。わからないから、「人間の才能は自分だけで
は発見できず、それは他力によって発見されるか、もしくは発見させてもらうの
だ」という八木さんの言葉に出会うと、こちらは立ち止まってしまう。自分がこうして文章を書いていられるのも、人様が多少はまともだと見てくれているからなんだなというおもいは湧くし、傲慢な人間だとしてもいくばくの謙虚さは生まれてくる。他者の目を通して自分をみつめなおすことができるということだ。つくづく八木さんは人間を見ていたのだなという気持ちだ。

窓の外にはめずらしく雪がちらついている。北海道も吹雪いているというニュースを聞いた。極寒の土地で育ち、満州までも足をのばし生きた彼の文学にかけた熱は、淡々と生きてきたようにも見えるが、実は瀞の底流のようにおおきなうねりを持っていた。こちらはそれに立ち向かう術はなにひとつ持っていないが、彼の小説に寄り添うだけでも触発されるものがある。つまりは書き手も読み手も、自分の中に存在する感情の波に手をこまねいているのだ。泣いたり笑ったり、哀しんだり喜んだり、この複雑な感情をもっと探りたいのだ。つよく心の襞を震わせたいのだ。人間のうわべだけではなく見えないものを見たいのだ。だからわたしは歳とともに私小説家に惹かれていくし、すべてを削ぎ落とし書くということだけに生きた彼らに心が吸い寄せられる。

年々生きていく時間がはやくなり、一年があっというまに終わってしまう。その
間をああだこうだと言って生きているだけだが、その実自分がこの世から消えても、世の中はなんの変化もない。ひとりの人間の存在なんて大河のごみやあぶくのようなものだが、人の心の中に生き続けることはできる。むしろそちらのほうが重要だとおもっているが、そうかんがえればこの世で獲得した名誉やものなどはなんの役にも立たない。ひとつのもののかんがえ方や生き方を示すほうが、あとあとに続く人間の心に残る。

もっともそういうことすらどうでもいいとおもって生きている人間のほうが、わ
たしたちの手本になるのだろうが、世の中は物欲や功名心に走る人間が増えている。だからこそ淡々と生きている人のほうが異彩を放つのだ。ただ小説を書いて生きた八木義徳が、わたしの心にひっかかり続けるのは、自分で獲得した言葉を持っているという以上に、生き方そのものに憧れがあるのだ。春がきたら雪の残る室蘭を歩いてみようとおもっている。