「熱い文学の魂」

熱い文学の魂

高橋英夫

八木義德さんとは会合で何度か顔を合わせているし、出版社の催すパーティーでは人混みの中に立ったまま挨拶し、二こと三こと話をしたこともあった。でも二人だけで時間をかけて話しあう機会のなかったことは残念に思う。とはいえちょっとその姿を見ただけですぐ、八木さんは敦厚な文学魂そのものの人なのだ、と感じとることができた。背が高く、髪は半白の老紳士の存在感は、それまで読んできた八木さんの作品のどれとも、少しも食いちがう感じがしなかった。僅かな回数だったにせよ、八木さんの姿を見ることができたのは幸せだった。


旺文社文庫の『女』という短篇集に解説を頼まれたのが最初である。旺文社のM氏という編集者が熱烈な八木文学のファンだった。「普通わが社の解説は三十枚ですが、どんなに長くなってもいいです。五十枚でもかまいません」。こんな注文を受けたのはこの時唯一回きりである。そうした熱っぽさは御本人八木義德から放たれている文学的情熱が反映された結果だっただろう。


大筋からいって私小説的作風を基礎としていたが、若いころドストエフスキーを愛読し、横光利一に師事したことが、文学魂としての八木義德を形づくったといっていいのだろう。それを分かりやすいことに置き換えていえば、八木さんを取りかこむプロのファンたち、つまり若い編集者たちが多勢いたことは、その師であった横光利一とたいそうよく似ているのだ。横光利一は川端康成と共に昭和ヒトケタ時代、新文学の輝かしい旗手で、多くの若い弟子、崇拝者を集めていた。若き八木義德もその横光のもとに参ずる一人だったのだが、文学的指向、文章の質でみるとあまり似ていなさそうなこの師弟に共通するのは、内に燃えていた文学魂の熱度だったのではないか。この熱は文学的人徳となってまわりの若い人たちに伝わっていった。現在こういうタイプの文学者はほとんど跡を絶ったように思う。

八木さんは読書家だったが、音楽も好んで聴いたらしい。随筆に音楽のことはあまり出てこないけれども。平成十一年十一月、八木さんの告別式に参列したら、開始前にベートーヴェンの「ピアノ協奏曲」第四番が朗々と会場に流れた。おやと思い、あっと気がついた。普通、式場ではしめやかな短調の曲が小さく流されるものだが、全くそこが違うのだ。もしかするとこれは八木さんが大好きな曲だったのではなかろうか。きっとそうだ、だんだんこの気持ちが強くなってきた。あの熱烈な文学魂を音楽に置き換えるなら、ベートーヴェンを措いて他にはない、そう思わずにはいられなかった。


後日ある人から聞いたのだが、私の書いた音楽論を八木さんは読み、その中で言及されているベートヴェンの曲を若い知人に頼んでテープに入れてもらい、聴いていた、という。その曲が何であったかは分からないが、私はそんなふうにして年長の貴重な読者をもつことができたのだった。感謝の思いである。