昭和19年1月(1944年)の覚書

覚 書  昭和十九年

昭和十九年一月元日.晴.暖.

 午前六時半起床、わか水を汲み、神棚に燈明をあげ

 新年の祈願を為す.

 裏の広場で第一斑の隣組員一同二列に整列.互ひに向き直って

 新年の挨拶.つゞいて町会の祝賀式.終って全員氷川神社参拝.

 参拝者は多いが、キラビヤカな晴着姿はほとんどない.

 みな平服かモンペか防空服装である.

 神社で参拝してゐた中の五十五六の老婆

 の、ひたむきな祈りの姿.ふと涙ぐむだほどの真剣さだ.

 見てゐてこちらの腸が洗はれて行く思ひであった。

 恐らく一人息子を戦地へ出してゐる母親の一人であらう。

 帰って来て、隣家で雑煮を祝ふ。とそも酒もビールもない

 お正月である.

 しかし何となく有難い。

 りよ子と史人もいゝお正月を迎へてゐてくれゝばいゝが…。

 日向に手紙書く.七枚.第六信である.

のり子さん来る浅見さんに年賀状一枚。

 のり子さん来る。

 二宮君来る.共にビールを飲む.

 夕飯は鳥鍋でたいへんな御馳走であった.

 萩原朔太郎「詩論」を読む.

 今年の仕事始め、「劉広福」にとりかゝる.

 五枚目からつゞけて十二枚まで七枚書く。

 ちょっと熱心になり過ぎて、火鉢からはねた飛火で座布団

 の燃えてゐるのを知らず かなりやけたところであわてゝヤカン

 の湯をかけ 消し止める.新年草々の失策なり.

 今年は火難に気をつけよといふ意ならんか

 十時半就床.

一月二日.晴.暖.

 寝坊して九時起床.

 台所の板間の下の練炭を縁側にならべて日に乾すことで午前中を終わってしまふ.

 萩原朔太郎「詩論」篇をつゞいて読む

 昼は、お汁粉.四杯もお代わりする.

 石井君が訪ねて来るかもしれぬと思ってどこにも外出せず待って

 ゐたがついに来ず.さうならばかねての約悟さんと横光先生を

 お訪ねするのであった.写真すこしアルバムに貼る.

 朔太郎つゞいて読む.

 詩精神といふこと.詩人の性格にある二律背反.

 「詩人といふものは本質的に矛盾した性格の所有者だ」といふて、

 この矛盾はたゞ詩的表現によってのみ揚棄されるといふこと.

 もっとも誡む可きは「道徳」といふ奴だ。

 自分の中にある「儒学」を一度すっかり洗ひ直してみよ.

 ものを、その本態に於てとらへるといふことはどういふことか.

 一ケの石はたゞ単に一ケの石であるか.

 レアリズムといふものはこういふものか.

 一ケの石に美を感ずるといふことはどういふことか.

 人間は美の源泉である。

 夜、「劉広福」にとりかゝる.十二枚目から十八枚まで六枚.

 多少稀薄になったやうだが、簡単に切りあげずに、むしろ

 くどい程に書いてみよ.

 文学を以て一ケの人間の彫像をつくってみる位に。

 今日は終日来客者なし.

 自分も終日出でず. 

 この程度の寂寥感が創作にはもっともよいやうだ.

 十時就寝.

一月三日.晴.小寒

 炬燵にあたりながら萩原朔太郎「詩論」篇を読了.

 直ぐつゞいて、紅谷女史から借りた網野菊の「若い日」を読了.

 つゞいて、原随園博士編輯のレーヴィー「ギリシヤ彫刻史」の写真だけ

 みる.

 有島武郎の「或る女」が何故か、ふと読みたくなって、日向の本棚から

 ひき出して少しばかり読む.

 網野の書いた女性と、この葉子との肉付きの相違.

 作者以前にあるものと、作者によってあらしめられたもの

 豊富な文章だ.

 ポツリポツリと切れずにどこまでも呼吸のつゞく文章だ.

 云ひ廻しが西洋的だ.形容句が多い。

 主題の助奏ともなるべき部分がかなり多い、が、これは「骨」しか

 書けない自分にとってのよい参考になる.

 (網野のものも「骨」があらは過ぎるのだ)

 三時頃ちょっとお茶のみに街に出てみる.

 お正月はじめての外出だ.たいていの家は休業だ.

 踏切向ふの資生堂に入るだけがやってゐる.ひどくまづいコーヒーと干柿

 を食べて帰る.

 夜、ラヂオの落語をきく.

 芭蕉講座「俳論篇」をすこし読む.

 こゝにはいゝ言葉が多い.三読を要する.

 「劉広福」二十枚目まで.今日は余りはかどらなかった.

 気持ちが何となく集中しない.

 書かうとする材料に余り「抵抗」がない故か。

 しかし、ともかくやり上げてみることだ.

 「自分は考へるといふことについて考へたことはほとんどない」ゲーテ

 創造的な人間は創造といふことのみが問題だ.

 他は他人にまかせて置いていゝ.

一月四日 晴 寒

 出社.年賀の挨拶.仕事は午前中だけ.

 山本悟、松村泰太郎氏等と共に横光先生お宅へ年賀

 御挨拶に参上.

 今日は先生は自分にとってたいへんよいことを言って下さった

 〃文学よりも芸をみがけ〃

 〃夢をリアリズムと思はなければ駄目だ〃

 〃文学を考へる自分を考へるといふことで小説が書けないのだ〃

 〃平面上の三角形の私と球面上のそれとの相違―謂はゞ

 真理が二つあるといふこと.―どちらか一つといふことで伊勢大廟

 へおまゐりした或る数学者の話―ところで彼は数学の真理よりも

 伊勢神宮を真理としたといふことだ.

 何となく力が湧いて出る.気持ちがラクになった.

 帰って来て夕飯をすましてからすぐ机に向ふ.

 非常に筆が進み、一挙に三十七枚目まで、十六枚.

 気がついた時はもう午前三時だ.

 火鉢の火も消え、煙草もなくなり、ハラも空いたことが

 急に感じられる.

 横光先生にお手紙を書き就寝

 (もっともこのお手紙は出すことをよした.お手紙よりも実さいの

 表現でみて頂くことだ、と考へたからである.)

一月五日 晴. 暖.

 おひるまで寝て起きた.

 高橋英氏と待ち合はせ敏彦君の家へ遊びに行く

 たいへんな御馳走になった

 おとそ、お酒、お汁粉(お代わりを四杯もした)おぞうに。

 寄席へ入るつもりで三人新宿へ出たが大入の為に入れず

 文化劇場に入る.「殿方はうそつき」といふ伊太利映画をみる.

 それよりも文化映画でプリンスイゴールの音楽演奏が実に

 よかった.

 お茶を喫んで別れる.

 楽しい一日であった.

 りよ子より手紙来た.(十二月二十六日の日付のだ)

 手紙をやることは、もう少し辛抱しよう.

「劉廣福」四十一枚目まで書く.

一月七日.晴.寒.

 夜、文化会、日本橋末広にて.盛会であった.

 酒がうまかった.たこの甘煮とおでんが美味しかった.

一月六日晴 寒

 夜、酒井さん、二宮君と二人来る.おみやげのお餅やいて

 いっしょにたべる.

日向浅見さんからハガキ。

一月八日 晴.寒.

 石川さんの奥さんから手紙あり.会社へ電報うつ.

 大和金属に電話(移転した).

 「劉広福」五十一枚にて第一稿を脱稿(夜十二時半)

 これからすいかうするわけだが、これでともかく骨組みだけは出来た.

 重荷が一つ下りて、ほっとする。

 主任さんから赤ちゃん誕生のお祝ひに頂いた赤飯をたべる。

 ともかく最初の一行を書いてみる.その次に、また一行書きついでみる.また

 それから一行……すると、いとぐちがなんとなくひらけて来る.

 全然予想もしてなかったことが次々と湧いて来る、―全然ウソなことなの

 だが真実らしい実感を以て、或る出来事がふと頭に浮かぶ.

 (全然なかった出来事がふと頭にうかぶこの瞬間は実に不思議だ.)

 創作といふものの楽しさはこゝにあるもののやうだ.

全然なかった出来事がなぜ頭にうかぶのだらうか.

 これはたしかに記憶といふやうなものではあるまい.

 聯想だらうか.しかし、全然なかったことなのだ。

 記憶だけでものを書くのがリアリズムといふやつだ.

 リアリティは夢の中にあると横光先生は云はれたが、この言葉を

 よく味はってみよ.小説の楽しさもまたこゝから自づと開けて来よう.

 ともかくペンを手にもって書くことだ.書いてゐる中にペンの先が自づと

 考へてくれる.それにまかせて前へ進めばいゝのだ。

 あと戻りするなかれ.

 小説を「観念」の中で考へるな、書けなくなる第一の原因がこれだ.

 浅見さんにハガキ書く.(会社で).

 明日は兄さんが来る予定。

 明日からいよいよ第二稿ねり直しにかゝるわけだ.

 ひどく寒い.(因みに、今年の初雪は一月五日だった)寒に入って

 ゐるのだからムリはない.

  午前一時就寝.

一月九日(日)晴.

 紅谷氏アパート訪問、お汁粉御馳走になる.

 二宮君も来ていっしょに話す.お茶をのみに三人で

 外へ出ようとしてるところへ 紅谷氏の妹さん来る.いっしょに出て

 資生堂にて茶と干柿をたべる.

 妹さんは話にきいてゐた以上にはにかみ屋だ.もう二十五だと

 いふことだが、このひどいはにかみやうにはおどろいた.

 三時、兄来る.のり子さんもすこしおくれて来る.

 またお汁粉が出た.今日はのり子さんのお土産の羊羹も

 一本だが出た.今日は甘いものに恵まれる日だ.

 皆そろって夕食をたべる.

 帰り新宿まで 遅  送る.南蛮で久しぶりにレコードをきく.

 モーツアルト「セレナード」ベートヴェン「ヴァイオリン協奏曲」、

 帰って来ると、高橋敏ちゃん児玉君と一緒に来訪.

 児玉君のおみやげのトーストパンにジャムをつけ、コー茶を

 のみながら、午前一時まで話し込む.

一月十日

 夕食後母と話しこみ、はやく寝る.

 大風で雲が吹き落ち凄いほどの冷たい月が出た.

一月十一日

 会社で石川さんの奥さんに手紙書く.

 夜、「劉広福」清書にかゝる.五枚.

 自分にテレずに書くべし.

 こんなものを書いて何になる、などといふことを考へずに書くべし.

 予が風雅は夏炉冬扇の如しと覚悟して書くべし.

一月十二日 晴.寒.

 会社で石川敏郎氏へ手紙書く.日向へ週間(ママ)朝日送る.

 「劉広福」十三枚目まで.

 入浴.

 他はどうでもよい.たゞ一つのこと.たゞ一つの事につきては

 人後に落ちざるべし.

持続なり.ただ持続なり.ひたすらに持続なり.

一月十三日

 夜、光ちゃん来る.山芋、ほうれん草、さつま芋、なら漬など.

 りよ子、史人共に元気の由

 但し、史人、両手、両足のしもやけかなりひどいさうだ.心配なり.

 第一斑第一組、大森氏宅(風呂屋の真向ひ)より出火.

 たゞちに全隣組員出動.川からバケツの手送り送水に努め

 大森氏宅半焼、類焼一戸にて鎮火.

 火勢の旺んなるに比して、案外焼けずに済んだ.

 紅谷、二宮両氏早速見舞に来てくれる.

 光ちゃんに古靴下のつくろひ沢山もたして帰す.

一月十四日.

 久さんと二人浅草に出かけ史人の玩具買ふ.

 夜 紅谷さん来る.

 十二時頃まで話して帰る.

一月十五日

 昼休みの時間を利して横光先生宅を訪問.山芋をお届け

 してすぐ帰る.

 入浴して仕事にとりかゝる.

一月十六日(日)

 暖い、久しぶりで二階の書斎で仕事する.

 一週間ぶりの大掃除.

 夜、宮川来る.レモンのお土産.

 九時頃出て、「ゆうかり」にて茶を喫む.

一月十七日

 昨日に比してひどく寒い.

 何となく心身ともに萎縮して仕事にかゝる気が起きない.

 風呂に入ってすぐ寝る.

 石川さんの奥さんから手紙あり.

 今日昼休みの時間ちょっと本所に出かけ史人の玩具

 光ちゃんに托す.

 山本会社に来訪、茂吉さんの「子規」をもらうって来てくれる.

一月十八日 寒.

 社員手帖のことで満鉄に千田氏訪問 留守.

 山田健二氏に代って会ふ.おだやかないゝ人だ.

 参考に満鉄のを二冊貰って帰る.

 山本、会社に来訪.倉崎に依頼の日夏さんの「鴎外文学」

 代って持って来てくれる.これはいゝ本だ.

 夜、七時より隣組常会.

 火元大森氏宅より手伝の礼として各人に湯呑茶碗一ケづゝ

 贈らる.

 九時半まで話し込んで散会

 すぐ寝る.

 木炭一俵配給あり.ひと先づ安心.

 会社にて、日向への第七信したゝむ.

一月十九日

 夜 日比谷公会堂に「大衆音楽の夕」を聴きに行く.敏ちゃんと一緒.

 (光村佑義氏より切符貰ったので)

 美響軽交響楽団、大谷冽子、瀧田菊江、斉田愛子、辻久子。

 辻のパッチーニ「妖精の踊」といふのは面白かった.

一月二十日

 夜、「劉廣福」、三十一枚まで.

一月二十一日

一月二十二日 夜「劉廣福」三十五枚まで

一月二十三日(日) 

 ひどく暖い.窓を開け放って大掃除.

 二階の書斎で仕事.四十枚まで.

 酒井さん来訪.資生堂にて茶を喫み小滝橋、下落合、椎名町まで歩き、

 バスにて新宿に 出る.南蛮にてレコードをきゝ帰る.

 夜ラヂオをきゝ、南京豆をかぢりつゝ、母、妹と雑談.

一月二十四日

 立川陸軍航空廠築地倉庫ニ松本中尉及島田雇員訪問

 大和容器五00軍輸ノ件

 松本中尉も島田雇員も親切に応対してくれた

 築地界隈をすこし歩き廻る.

 大変な寂れ方だ.

 老舗の料理屋(蜻蛉、新喜楽)、幻想をそゝる.

 入浴.早寝.

一月二十五日(雨)

 「劉」四十三枚まで.入浴.

 寒雨.

 山本来社.谷崎さんの「聞書抄」もって来てくれる.

 魚一包もたしてやる.

 ひで子駅頭に洋傘をもって出迎へてゐてくれた.

一月二十六日 ×    ×    ×

 自分を真に支へてゐるものの本体.芸への憧憬か.

 実人生を捨てるといふこと―フロオベル.

 トマス・マンの主題.トニオ クレーゲル.ヴェニスに死す.

 夜、

 他に誇る可きもの何があるか.

 他に優れりと思へるもの何があるか.

 たゞ一つ、たゞ一つのことのみ.

一月二十六日

 会社よりの帰途、曙荘に酒井さん訪問.(高橋英の下宿ノ件)

 夕食を御馳走になり帰る.

(附落ち、昼休み、本所行.魚、佃煮預けて帰る.)

 児玉君応召につき高橋敏氏と宅訪問.児玉君はすでに

 十五日入隊(第十二部隊).御両親にお会いする.

 高橋敏氏に「鹿鳴集」「文壇人物評論」「早春」三冊貸す.

 りよ子にハガキ.

       ×    ×    ×  

   One thing a time , One thing a life

 一事一生の事.