§思い込みという触媒

伊東 昭和二十一年に帰国されてみると、奥様とご長男は、東京大空襲でお亡くなりになっていた。そしてそのことを『母子鎮魂』に書かれるわけですね。それを見た横光先生が、これは君のお経だね、と言われたそうですね。

八木 そしてわざわざ、となりの部屋の仏壇に置いてこられたんだよ。その前、帰還のご挨拶にうかがったとき、ぼくの顔を見るなり、君には済まないことをした、とおっしゃったんだ。でもぼくには、自分の家内と子供が死んだことを横光先生のせいだなどとは思っていないんだから、なぜ先生がそういうことを言われたのか、わからなかった。今でもわからない。しかしそれが横光先生の口から最初に出た言葉として、今でも印象に残っている。

伊東 それから満州時代の奥様との生活を描いた『胡沙の花』では、八木さんは、自分は一種の「負債」を抱えていて、それはかならず「返済」しなければならない、と言っていらっしゃる。これはたとえば『風祭』など、お父様のことを書かれた小説を含めて、八木さんの文学観、大きなモチーフが出ている言葉ではないかと思うのです。最近川村湊さんが書かれた、『アジアという鏡』という批評があるんです。このなかで八木さんの『胡沙の花』に触れていて、植民地にあっては、被支配民族だけでなく支配民族もまた、非人間的な生を強いられることを表現している、と言っています。

八木 そうですか、知りませんでした。

伊東 実は新聞社にいる友人から、八木さんのことを書いた、昔の新聞記事を手にいれまして、それなどを見ますと、ちょうど八木さんは日本に帰ってこられたあとの昭和二十三、四年ごろは、新進作家という扱われ方をされていらっしゃる。このころ「文芸時代」という雑誌に加わられたり、キアラの会というものにお入りになられたりしてますけれど、キアラの会というのは、いろんな本では、舟橋聖一さんの会、という扱われ方をしていることが多いと思うのですが。これはかならずしもそういうものではないのですか?

八木 柱は舟橋さんだけれども、別に親分にまつりあげたというわけでもないんだよ。

伊東 「文芸時代」でもキアラの会でも、今見ると、戦後派あり、いわゆる私小説系の作家あり、とずいぶん大勢の方が参加されているんですね。

八木 文字どおりの呉越同舟だったね。なにしろ昭和二十三年という敗戦後の混乱期で、発表する場がないもんだから、みんなそこへ集まってきたんだね。

伊東 野口富士男さんとは、そのころお知り合いになられたんですか。

八木 そう、「文芸時代」の発表会で知り合ったんだよ。

伊東 本当にに八木さんと野口さんとは、まさに文学的盟友と呼ぶのが相応しい、文学的に通じるものがあったのではないでしょうか。八木さんご自身もよく言われてますけれど、私小説家として、いっしょに括られてはいても、資質はだいぶちがう。しかし非常に親しい間柄にあると思うのです。

八木 同じ明治四十四年生まれで、世代感覚も共通しているからね。

伊東 この時期には、八木さんの代表作とされている『私のソーニャ』とか『美しき晩年のために』といった作品がありますね。そして八木さんは川西政明さんとの対話で、『母子鎮魂』のような作品を書いた人間が、『私のソーニャ』という娼婦のところに通う話を書くのは、何だか評判が悪い、ということを謙遜で言われていましたね(笑)

八木 いや評判悪いんだ(笑 )。女房的リアリズムというものかな、主婦層に評判悪いのね。亡くなった奥さんや子供のことを書いたそのすぐあとで、娼婦のところへ通う小説を書くなんてのは。

伊東 『美しき晩年のために』では、主人公のガールフレンドが、娼婦のもとに通うという設定の小説を非難する、という場面が出てきましたね。あれはちょうど『私のソーニャ』を想定していると思うのですが。

八木 そうだね。

伊東 川西さんは、『美しき晩年のために』に出てくる節子という女性は、主人公の生き方に畏怖を抱いたのだ、と書いておられます。このことは先ほどの「女房的リアリズム」的レベルではなくて、私小説の根源にせまるような部分があるのではないでしょうか。

八木 それはあるかもしれません。

伊東 私小説を批判する立場の方々は、私小説に登場する「私」以外の人物、つまり「他者」は、結局作者自身の主観の中で動いているにずきない、だからひとりよがりになる、といった言い方をされます。しかし『私のソーニャ』には、 それはあてはまらないように思います。Pity’s akin love. という言葉が引かれていますが、「私」は「他者」である女性に対して、彼女を弱者と見なし、自分は憐憫をかけているのだと思い込んでいたけれども、そのあたりが、単なる破滅型の私小説とはだいぶ色合いがちがうのではないか、思うのです。

八木 あなたがぼくの作品に対する批評のなかで言っていた、「思い込み」という言葉、思い込みによってなにかを先取りするという時、あれはとってもおもしろかった。それからあなたはぼくを、精神分裂症患者のひとりにしているね。

伊東 いや、患者というわけではありませんが・・・・・。

八木 別に怒っているんじゃないよ(笑)。言われて、改めて考えてみたんだけれど、ぼくの場合、はやり「思い込み」という要素がとても強いんだね。他者が一種の触媒となっている。他者は他者としてどこまでもそこに存在するというのではなく、他者がいれば、それに触発されて何かが生まれる。その触発された何かによって、こちらはいっぱいになってしまう。つまり「思い込み」だね。だから今まで書いてものには、本当の意味での「他者」は書けていないんじゃないか。つまり自分のなかの、一種の触媒としてしか見ていなかったじゃないのか、という反省はあります。

伊東 「他者」は「他者」、とあくまでも意識する方の書いたもののほうがかえって「他者」が自分の主観のなかにおさまってしまうということもあるのではないでしょうか。「私」と「他者」の距離を、八木さんのようなかたちで意識していますと、逆に自分の思い込みとは別のところに、「他者」は変わらず存在できる。そうではないでしょうか。

八木 そうおっしゃってくだされば、すこし気が楽になります。ぼくのわるい癖のひとつに、たとえばあなたとこうして話をしていて、ある言葉を与えられると、その言葉以外は入ってこなくなってしまう、というものがある。言葉と格闘するというとちょっとおおげさだけれども、その言葉だけで頭がいっぱいになってしまうところがある。その言葉を吐いた人に対してではなくて、その言葉自身に対して頭がいっぱいになる。だから人と話していて非常に触発を受ける言葉を聞くと、あとの話には一応相槌は打っていても、実際は聞いていないんだね。その触発を受けた言葉だけがすっかり頭の中を占領してしまって、そのうち返事もしなくなる。おまえおれの話を聞いてるのか、ってときどき親しい友人たちに叱られるんだよ。

伊東 それは最近の作品『夢三態』の、「私」が夢に固執するということに、似ているような気がします。

八木 そうだね。君が精神分裂症云々のところで引用していた人は、何といったかな。どんな本を書いているの。

伊東 中井久夫さんとういう精神医学者で、神戸大学の精神科の先生です。『分裂症と人間』という本に出て 来る「分裂症親和者」という概念を使わさせていただきました。ほかに著作集なども出ていますが。

八木 あなたはずいぶん幅広く読んでいるんだね。

伊東 だいぶ文学にも関心のある方のようで、カヴァフィスなどの現代ギリシャの詩を訳されたりなさっているんですよ。


―― 『早稲田文学』(NO.178号 1991年3月刊)
               より転載 ――